出版した小説が次々に翻訳される気鋭の作家、川上未映子さんは10代の頃、明治期を生きた樋口一葉作品に徹底して向き合った

▼「布団で、お風呂で、歩きながら、食べながら」読み続けたのは、東京の下町を舞台に、思春期の少年少女の惑いや淡い恋を描いた「たけくらべ」。原文で読もうとしたがうまくいかず、著名な作家の現代語訳に親しんだ

▼訳を音読し、テープに吹き込んで聞きながら原文を黙読したというから、並大抵ではない。一葉は早くに父を亡くし、一家の生計を担った。川上さんも作家になる前、弟の学費を稼ぐために昼も夜も働いたという。共感できる面が多かったのか

▼一葉への思いは人一倍だったが「『たけくらべ』の新訳を」と依頼された際は戸惑った。先人の訳がすでにある。その一方で、作品に「深く入り込みたい」という思いも強まり、引き受けた

▼筆者も原文は消化しきれず、川上訳に手が伸びた。読後、よくぞ分かりやすくしてくれたと感謝したくなった。100年以上前にも、大人の階段を上る時期の細やかな感情を丁寧に表現した人がいたんだと実感した

▼歌人の俵万智さんが高校で古典を教えていた頃、生徒からよく質問されたという。「どうして昔の人が書いたものなんか読むんですか」。答えは明快。 「面白いから」 。 しみじみ、ドキドキ…と面白いにもさまざまあると俵さんは書く。 「今の時代のものしか読まないなんてもったいない」 。 読書の秋。時空を超えた名作に出合うチャンスだ。

朗読日報抄とは?