時代の歯車が回るカチリという音が聞こえたような気がした。最高裁大法廷が先日出した決定のことだ。性同一性障害の人が戸籍上の性別を変更する際に、生殖能力をなくす手術を事実上求める法律の規定を違憲とする判断を示した

▼4年前に最高裁第2小法廷は「性別変更前の生殖機能で子が生まれると社会に混乱を生じさせかねない」として合憲と判断した。一方で「憲法適合性は不断の検討を要する」とも言及。その後の時代状況に合わせて考慮すべき問題だとの認識も付していた

▼今回の決定では、社会の混乱はうかがわれず、性同一性障害に対する理解も広まっているとの見方を示した。時代の変化が司法の判断にくっきりと映し出された。健康な体にメスを入れずとも、望む性で自分らしく生きる道が開かれた

▼県が県民に実施した調査では、LGBTQなど性的マイノリティーのカップルを公的に認める「パートナーシップ制度」について「必要」「やや必要」との回答が計7割近くになった。やはり時代は動いている

▼こうした変化に戸惑いを覚える人もいるはずだ。個々の考えは尊重されねばならない。ただそれは、自分の価値観と同様に、異なる価値観も尊重されねばならないということだろう

▼変わらぬことで値打ちが上がるものもあれば、変化によって磨かれるものもある。何かに苦しむ人がいるのなら、その痛みが少しでも和らぐすべを考えたい。苦しむ人が減ったとすれば、その社会はより生きやすくなるはずだ。

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