新潟日報朝刊1面にあるコーナー「言の葉の泉」が連日紹介しているのは魚沼市出身の宮柊二の歌である。市などは毎年、この歌人を顕彰する全国短歌大会を開いている
▼ことしの入賞作品が先日発表された。高校生の部で最優秀賞に選ばれたのは、市内の小出高に通う秋元慈央(じおう)さんの「魚影追うその一瞬を簎(やす)で突く命の重さ腕に伝わる」。夏場は地元の魚野川などで魚捕りを楽しむ子どもの姿を見かける。作者もそんな子の一人だったか
▼こちらも子どもの頃の記憶がよみがえった。水中眼鏡をつけ、息を目いっぱい吸い込んで水に潜る。人に驚いた魚が岩影に隠れる。じっと身を潜める魚に狙いを定めヤスをひと突き。成功すれば歌の通り、獲物がうねる躍動が伝わってくる。失敗の方が多かったけれど
▼今でもこんな感覚を知る子がいるのがうれしい。捕れた魚は河原で焼いて食べただろうか。持ち帰っておかずにしただろうか。命をいただき、食べてわが身に取り込む。「いただきます」という言葉の原点を知る機会は今では貴重だ
▼売られている食材を口にすることはできても、命を奪うことには抵抗を感じる。こうした風潮が語られるようになって久しい。昨年亡くなった農民作家の山下惣一さんは、現代を「命が見えない時代」と評していた
▼こう指摘した著書のタイトルは「食べものはみんな生きていた」。魚を突いた時に感じた躍動は命そのものだった。わが手のヤスに貫かれ、血を流しながら体を震わせた魚の姿を忘れたくない。