「井戸塀政治家」とはどんな人か。郷土や国事のために私財を投じてまで奔走し、屋敷のうち井戸と塀しか残らなくなるほどだった人を指す。褒め言葉だろう

▼常に立場の弱い民衆の側に立った明治期の政治家、西潟為蔵(ためぞう)も当てはまる。「どん詰まり」とされた出身地の三条市下田地域から「八十里越」と呼ばれた里道を経て福島県只見町まで結び、さらに太平洋に抜ける道路の確保こそが沿道各地や本県全体の発展につながると考えた

▼政府に対して道路開削を訴えようと、今の価値で1億円相当の私財を投じて図面を作った。峠を自ら踏査してルート候補を定め、事業費を見積もった。ただ為蔵の子孫によると、西潟家では「だめ蔵」とも呼ばれた。家を傾かせたため「政治は一代限り」が家訓になったほどだ

▼滅私の行動の原動力を「義俠心(ぎきょうしん)」と呼ぶ人もいる。そんな姿勢を、田中角栄元首相は尊敬してやまなかった。下田地域に残る「西潟為蔵翁之碑」。揮毫(きごう)した角栄氏は道路開削への情熱と思想を引き継ぎ、国道289号「八十里越街道」の全通を目指した。しかし昭和末期に角栄氏が脳梗塞で倒れ、平成期に本県の政治力が低下すると工事は遅れた

▼ようやく工事進捗(しんちょく)率は9割を超え、何年か後には全通する。今月16日で角栄氏没後30年、来年は為蔵没後100年の節目だ。2世や3世が多い今の政治家とは対照的に、その身一つで郷土や民衆のために汗を流した先人がいた。心血を注いだ街道は、まもなく深い雪の季節を迎える。

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