新潟県出身者1236人。沖縄本島南部にある石碑「平和の礎(いしじ)」には、太平洋戦争の沖縄戦で亡くなった人の氏名が刻まれている。沖縄県民の犠牲者は約15万人に上るが、本土から現地に赴いた兵士ら県外出身者も7万7千人を超える
▼戦後は米国に占領され、遺骨はほとんどが現地の土に埋もれた。具志堅隆松さんは「遺族の元に帰したい」と住民や兵士が逃げ込んだガマ(自然洞窟)で40年以上、ボランティアで遺骨を発掘してきた
▼現地で具志堅さんに話を聞いた。身元が判明して本土に帰せた遺骨は数人分しかないという。身元不明の遺骨は現地の国立墓苑に眠る。未知の南国に送られ、死してなお故郷に戻れない兵士と遺族の無念を思うと胸が詰まる
▼その遺骨を含む南部の激戦地の土砂を、名護市辺野古で建設中の米軍基地の埋め立てに使う計画を国が立てた。具志堅さんは「戦没者の遺骨を次の戦争のための軍事基地に使うとは。人道上の大問題だ」と憤る
▼2019年の沖縄県民投票では辺野古での基地建設反対が7割超を占めた。その民意を受け、玉城デニー知事は基地の軟弱地盤の工事を承認していない。国は県に代わり工事を承認する代執行を求めて訴訟を起こした。あす20日に判決が出る
▼判決を前に、玉城知事は「地方の自主性、自治を形骸化する問題だ」との文書を全国の知事に送り、沖縄だけの問題ではないと訴えた。具志堅さんも呼び掛ける。「新潟の若者の遺骨を基地の海に埋めるのか。ぜひ考えてほしい」