文章など書いたことがなかった。阿賀野川べりで長年暮らし、とうに80歳を超えた男性は震える手で紙に文字を書き連ねた。 「ミゴ (ニゴイ) 、フナ、アユ、サケ、マス…」。若い頃から食べてきた川魚の名前だった

▼1970年代のことだ。男性は水俣病の認定申請を行政に棄却され、不服審査のために反論書を書くよう求められた。被害者を支援し、審査の手続きを手伝った旗野秀人さん(73)は当初、これでは反論書になっていないと思った

▼しかし「俺にはこのくらいしか書けない」と語る男性を前に思い直した。「魚の名前は、この人の人生そのものだ」。並んだ文字には川とともに生きてきた男性の道のりが凝縮されていた。反論書は余白だらけだったが、その空白からは男性の生きざまが見えてくるような気がした

▼今また、これまでの苦しみを文字にしている被害者がいる。新潟水俣病第5次訴訟の全原告151人が、審理を担当する新潟地裁の裁判官に宛てて直筆の手紙を書いている。法廷では伝えきれなかった思いをつづりたいという

▼80代の女性は水俣病特有の症状である手のしびれで「布巾をしぼることもできない」としたためた。これまで手紙を書いたことはなかった。震えた文字を見たくなかったからだ。今回は便せんに余白なく、びっしり書き込んだ

▼多くの余白があっても隙間なく文字が詰まっていても、行間からその人の半生や胸の内が伝わってくるのではないか。言葉にならない思いもにじんでいるはずだ。

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