ことしの米大リーグは大谷翔平選手の超大型契約の話題で沸いた。10年総額7億ドル、合意時の為替レートで約1015億円という途方もない金額だった。大半を後払いにする契約だが、単純計算すれば年俸は100億円余りになる
▼37年前のきょう、日本球界でも歴史的な契約が結ばれた。史上初の「1億円プレーヤー」が誕生した。落合博満さんが年俸1億3千万円で、ロッテから中日に移籍することに合意した。大谷選手の金額と比べれば隔世の感があるが、当時は日本中が沸き立った
▼大谷選手は高校卒業後、日本のプロ野球に投打の二刀流で挑もうとした。疑問視する関係者は多かった。そんな中で「大賛成」と公言したのが落合さんだった。選手の没個性化が進んだというが、これほど個性ある選手がいるか-。こう言って後押しした
▼時に「わがまま」と批判された落合さんの人生も個性的だった。高校の野球部では入退部を繰り返した。封建的な人間関係に嫌気が差したからだ。大学でも野球部になじめず中退した。社会人を経てロッテに入団した時は25歳になっていた
▼プロ入りが遅く、王貞治さんの本塁打868本をはじめ通算記録では名を残せぬと考えた。三冠王に照準を合わせ、獲得3回は前人未到の偉業となった。誰にもまねできない「オレ流」を貫いた
▼個性を生かすことは大切と分かっていても、実践は簡単ではない。しかし、この国の「失われた30年」と言われる低迷を脱する鍵は、そこにこそありはしないか。