能登の冬は底冷えが厳しい。避難所の床に段ボールを敷くなどして、寒さをしのいでいる被災者がいる。あの人なら現地に畳を届けようと奔走していたかもしれない

▼歌手の八代亜紀さんである。芸名のもとになった、ふるさとの熊本県八代市は国内有数のい草の産地。2011年の東日本大震災の際は、行政などと協力して多くの畳を東北に送った

▼16年には故郷の熊本が大地震に襲われた。地域を回り、被災者と膝をつき合わせて言葉を交わした。チャリティーコンサートを数多く開き、地元のコミュニティーFMへの出演も続けた

▼19年に発表した曲「だいじょうぶ」は、災害に見舞われた人をはじめ、労苦を背負う人々へのエールを込めた。〈痛くてくじけて つまづいて 灯(あか)りの見えない その夜も だいじょうぶ だいじょうぶ〉。包み込むような歌声が多くの人の背を押した

▼「悲しい歌こそ、楽しい声で。楽しい歌は切なく歌おう」。18歳の頃から心に決めていたという。 「なみだ恋」 「舟唄」「雨の慕情」…。音楽評論家の安倍寧さんは数々のヒット曲を「聴衆の日常生活と地続きの世界」と評した。ハスキーな歌声は、いつも聞き手の心情に寄り添うように響いた

▼そんな八代さんの訃報が届いた。昨年末に旅立っていたという。佐渡の魚市場でコンサートを開いたのは、ほんの1年余り前だった。能登の被災者の中にも、ファンは多いだろう。〈だいじょうぶ だいじょうぶ〉。あの歌声がもっと必要だったはずなのに。

朗読日報抄とは?