田中角栄氏は、新潟日報で「大臣日記」という連載をしていた時期がある。その中で徹夜国会について書いている。舞台は1960年代、年末が迫った参院本会議場だ
▼そこでは牛歩戦術が展開されていた。投票箱まで牛の歩みのごとくゆっくり歩き採決を引き延ばす。野党による抵抗戦術の代表例だ。「議場を離れるわけにはいかず、議員たちは自席でさながら座せる仏像と化した」と記している
▼徹夜は一晩で終わらなかった。それはそれは眠かったろう。疲れきって倒れる議員もいた。牛歩が延々と続く光景を閣僚席から眺めていた角栄氏は、科学技術の進歩に比べ国会は相変わらずだ、とつぶやいている
▼令和の今、変化の兆しがある。オンライン国会の是非が議論されつつある。感染禍に促された格好だ。画面越しの国会審議は憲法上問題があるのかないのか。やむを得ない場合に限るべきだとの指摘も聞こえる
▼人けの消えた議場を想像してみる。つかみ合いの論争はない。ひそひそ話もない。一方で、オンライン画面からは相変わらずのヤジが聞こえてくるのだろう。激しい駆け引きがそこで繰り広げられるのか、なかなかイメージはできない。デジタル時代の審議は、スピード重視で進んでいきそうだ
▼古くからの牛歩に代わる抵抗戦術は果たして編み出されるのか。野党が時間稼ぎをしているうちに誰かがポチッとボタンを押して、ハイこれにて閉会なんていう時代になりませんように。国会は熟議の場であってもらいたい。