今年も「3・11」は巡り来、そして過ぎていった。大量の報道が落ち着くと、決まって風化にあらがわなければとの思いを新たにする。未曽有の福島第1原発事故を伴った「原発震災」は、同様に東京電力の原発が立地する本県にとり人ごとではない
▼〈こんなにも背後の夕焼けは美しいのに/ここにも、そこにも/たおやかな夕日が地に照り映えているのに。/呪われた火で/今も、ふるさとは燃えている。〉福島県いわき市の詩人斎藤貢さんの「火について」の一節だ
▼この作品も収めた斎藤さんの詩集「夕焼け売り」は、3年前に現代詩人賞を受賞した。突然故郷を襲い、住民の平穏な日常を奪い去った原発事故への憤りを、簡潔な言葉に凝縮させた作品が並ぶ。「フクシマ」が言わせた言葉だろう
▼例えば「火を放て」と題した詩。〈あの日から/草は疼き、土地は痛みを負った。/その苦しみを、数えあげれば/ひとは、土地に背を向けるだろう。/天からしたたる水は、汚泥をぬめらせ/森の悲鳴を川に集めて、穢れを海へと注ぐ〉
▼人間は本当に原発と共存できますか-。紡ぎ出された言葉たちは繰り返し、そう問い掛けてくるようだ。かつて取材で被災後の福島第1原発を訪ね、避難によって住民がいなくなった周辺地域を回ったことを思い出した
▼あの原発事故から11年がたった。記憶の風化が懸念される今だからこそ、私たち県民が原発に関し意思表示する場は大切だ。5月の知事選はその機会を提供してくれるだろうか。