被害者全員の救済への扉は開かなかった。高齢で体に痛みを抱えながら長年闘ってきた原告らの気持ちを思うと切ない。

 一方、原告の半数以上が水俣病の罹患(りかん)を認められたことで、国の認定制度の不備が明らかになった。場当たり的な対応ではなく、すべての患者を恒久的に救済できる制度の構築を求めたい。

 水俣病被害を訴える新潟市などの男女が、国と原因企業の昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に1人当たり880万円の損害賠償などを求めた新潟水俣病第5次訴訟で、新潟地裁は18日、患者認定を既に受けている2人を除く原告45人中26人を水俣病に罹患していると認め、昭電側にそれぞれ400万円の賠償を命じた。

 残る原告については、個別の病状や発症時期などから、水俣病の罹患を認めなかった。

 とはいえ、水俣病を巡る同種の訴訟で昨年以降示された大阪と熊本、新潟の地裁判決が、国の認定基準を否定したことは明白だ。

 大阪地裁は、国が水俣病とは認定していない原告全員を水俣病だと認めた。熊本地裁は、損害賠償請求権が消滅する20年の除斥期間が過ぎたとして請求は棄却したが、一部原告を認定したからだ。

 除斥期間の適用を認めなかったことも評価したい。

 原告らが差別・偏見を恐れて提訴が困難だった事情などから「正義・公平の理念を踏まえ、適用を制限する」と指摘し「賠償請求権が消滅したということはできない」とした。被害者の境遇に寄り添った判断だ。

 しかし、大きな争点である国の責任については認めなかった。「有機水銀の排出や周辺住民に健康被害が生じると具体的に予見できたとは言えない」として、国への賠償請求を棄却した。

 原告側は公判で、「九州の水俣病確認後に国が対策を取っていれば新潟での発生は防げた」と主張していた。

 新潟水俣病の判決で国の責任を認めたことはなかった。原告団長の皆川栄一さんは「国の責任を求めてきた。今回も負けたと思うと悔し涙が出る」と述べた。

 原告側が水俣病の根拠とした地元民間医師による共通診断書については、信用性を否定した。

 判決では、共通診断書に依拠して水俣病に罹患しているかどうかを判断するのは困難とした上で「公的検診の結果に依拠すべき」と指摘した。

 水俣病だと認定する範囲が狭まり、原告側に厳しい立証責任が生じたとも考えられる。

 原告は、水俣病と同じ症状でも国の基準で水俣病と認められなかったり、2009年に施行された水俣病特別措置法(特措法)に基づく救済を受けられなかったりした人で、13年12月に提訴した。

 18日は原告149人のうち、審理を終えた47人の判決だった。判決まで10年余の時間を要したことは歯がゆい限りだ。原告の平均年齢は75歳になり、裁判中に31人が亡くなった。

 九州の水俣病公式確認から70年近く、新潟は約60年になるのに、全国で現在1700人超が裁判を起こしていることを、国は重く受け止めるべきだ。

 「あたう(可能な)限りの救済」をうたった特措法は、居住歴や出生地などを制約した上、申請期間を約2年とした。こうした小手先の対応が、解決を長引かせているとの指摘もある。

 被害者は高齢化している。一刻も早く救済の道を広げるよう国は動かねばならない。