新潟に住んだ5年間。住み始めた頃と、その5年後では、目に映る新潟の景色が違ったものになりました。

 妊娠・出産を経て『暮らしやすさ』の価値観が、また、新型コロナウイルス禍を迎えて『住みたい場所』の考え方が変わってきたからだと思います。

 移り住んできた当時は、新潟と東京の家を頻繁に行き来する生活でした。東京では仕事や友人との時間を楽しみ、新潟ではスローな時間軸で癒やされるというすみ分け。

 しかし、妊娠・出産を経て、だんだんと新潟で過ごす比重が大きくなり、そこから『新潟開拓』がさらに進んだように思います。

 それまで意識しなかった子育て環境。雨の日でも安心して遊べる児童館が充実していたり、整備されたきれいな公園が数多くあったり。東京の生活では、「走っちゃダメだよ」「触っちゃダメだよ」というのが口癖になってしまいますが、新潟には、思いっきり走れる公園、触れさせたい自然がすぐそばにたくさんありました。

新潟の公園でいっぱい遊んだ息子は、もうすぐ3歳です

 また、経験したことのないウイルス禍が訪れ、さらにさまざまな価値観が変わっていきました。あらゆる欲がそぎ落とされ、今は家族が健康であればそれ以上の幸せはないと感じられるようになりました。そして、安心して暮らせるということが、どれほど恵まれていることなのかを痛感する日々。

 新潟の暮らしでは、車社会なので移動の際も心配事が少なく、犬も子供も密を気にすることなく遊べる公園がいくつもあり、外食をしなくても十分にぜいたくを感じられる一級品の食材がスーパーで手に入りました。

 この環境って、普通にあるものではないんですよね。新潟で生まれ育った方々はよく「新潟は何もないところだけどね」と謙遜しながらおっしゃいますが、そんなことはないです! このご時世でも、幸福を感じながら生活できる環境。胸を張って誇るべき、新潟の大きな魅力です。

 このウイルス禍だからこそ、住みやすい新潟の魅力を再確認できた部分もあるかもしれません。私もとても良いタイミングで新潟に住めるご縁があり、ありがたかったなぁと思います。

 愛媛・埼玉・東京・愛知・新潟・群馬に住んでみて感じるのは、新潟は本当に治安が良いということ。おかげさまで、少々平和ボケしてしまいました。笑

 まだまだ語り尽くせないほどある新潟の魅力。このコラムも最終回なので、最後に私からひとこと言わせてください。

 「新潟って実は何でもあるところなんですよ」

 オレンジブースターの大声援、初めてのお産、息子と愛犬と走り回った公園、ウイルス禍でも笑顔にしてくれた食材、ステキなご近所さんたちのエール。私たち家族にとって、新潟での思い出は、ずっと大切にしたい宝物です。

 そして、新潟出身である息子が大きくなったら、新潟での日々をたくさん聞かせてあげたいです。

 ふるさと新潟、またいつか...。

 (フリーアナウンサー)

 =おわり=

今回の更新を持ちましてコラム「母、妻、ときどき本田朋子」の連載を終了いたします。ご愛読、ありがとうございました。

<ほんだ・ともこ>
1983年生まれ。愛媛県出身。立教大を卒業後、2006年にフジテレビに入社し、「すぽると!」などを担当。13年に、上越市出身でプロバスケットボール選手の五十嵐圭選手と結婚し、退社。現在、フリーアナウンサー。
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