「これが日本海かあ」。オレンジ色に染まる海を見つめながら、つぶやいた。期待と不安の心の波が交互に押し寄せてきた。

 2016年7月、私はプロバスケットボール選手の夫の移籍に伴い、新潟に住まいを移すことになった。本県出身の夫だが、120キロ以上離れた上越市出身。新潟市の土地勘はほとんどなかった。ましてや、愛媛県出身の私は言うまでもない。

 愛媛の両親は、新潟への移籍を心から喜んでくれたが、「また遠くに行ってしまったな」と、電話の向こう側から寂しそうな父の声が聞こえた。物心ついた頃から、早く自立したいという思いがあった私は、両親に心配されることが勝負に負けたような悔しさを感じてしまう。今回も心配する両親の思いを感じ取っていたので、何とか早く安心してもらいたいという気持ちが、新生活のエネルギーとなった。

 そして、移住から2カ月後、アオーレ長岡で行われた新潟アルビレックスBBのホーム開幕戦。湧き上がった大声援が、肌を突き抜けて体の中で響いた。「新潟に来てよかった」。強く確信した瞬間だった。

 しかし、新しい土地での生活は全く心配がなかったと言えばうそになる。移住2年目の冬。朝起きてベッドルームのカーテンを開けると、迫りくる白い壁。そう、ドカ雪というやつだ。新潟市でも一晩で70センチほど積もった。それまでは慣れないながらも、体幹トレーニング代わりに雪かきを楽しんでいたが、ここまで一気に積もった雪を見ると、ドカ雪初心者の私は身の危険を感じずにはいられなかった。

 しかも、よりによってその日は東京で予定があったので、大急ぎで雪かきに励んだ。しかし、かけどもかけども雪が減らない。時計をにらみながら頑張ったが、結局、予約していた新幹線には間に合わなかった。冷や汗なのか、雪かきの汗かは分からないが、額にたらりと水滴がこぼれ落ちた。雪の季節は、時間と気持ちの余裕、そして体力が必要なことを学んだ。

 雪の洗礼を受けたものの、すぐに新潟の生活になじむことができた。何より驚いたのが、スーパーの食材のレベルが高いということ。そして、人が控えめで温かい。穏やかな時間軸でストレスのない日々...。じわじわと新潟の素晴らしさを感じている。

 日本海をオレンジ色に染めた夕日を夫と2人で見つめたあの日から、5年。今では2歳の息子の小さな手を握って、「これが日本海だよ」と語りかけている。一児の母として、アスリート五十嵐圭の妻として、ときどきフリーアナウンサーの本田朋子として、この地で子育てする楽しさなど、新潟ライフの何げない一コマをつづっていきたい。お付き合いいただけると幸いです。

引っ越ししてから間もなく新潟市の海岸にて。大きな夕日の輝きに圧倒されました
<ほんだ・ともこ>
1983年生まれ。愛媛県出身。立教大を卒業後、2006年にフジテレビに入社し、「すぽると!」などを担当。13年に、上越市出身でプロバスケットボール選手の五十嵐圭選手と結婚し、退社。現在、フリーアナウンサー。
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