まん丸に実ったおなかをさすりながら、ふ~っと大きく深呼吸。2018年、新潟の夏も、なかなか侮れない暑さだった。

 公園で遊ぶ子供たちの姿に、まだ見ぬわが子をイメージして重ねてみる。

 

 「数年後、この子もここで駆け回っているのかな」

 結婚して5年目で初めて授かった小さな命。いつコウノトリさんがやってくるのだろうと待ち焦がれた日々もあったが、「そうか。この新潟の地で産み育てられるように、のんびりと運んできてくれたのか」と、キラキラとまぶしい笑顔の子供たちを眺めながら合点した。

 13年、結婚してまもなく移り住んだのは名古屋。スポーツ番組の取材で幾度となく訪れていたことでなじみもあり、東京での仕事も日帰りでできるので、生活の変化を感じることはあまりなかった。

 そのため、いつか子宝に恵まれたらいいなという思いはあったが、ついつい慌ただしい日々に。一方で、あいさつ代わりに聞かれる「子供はまだなの??」という言葉。心に刺さるトゲを払うことも得意にはなっていたが、確実に焦りは襲ってきていた。

 そして、16年に新潟へ移住。環境の変化に戸惑うこともあったが、これを機に、ちゃんと自分の体と向き合う時間を作ろうとかじを切ることができた。

 まず取り掛かったのは、体を温めること。韓国で産後ケアとして用いられている「よもぎ蒸し」(薬草をお湯で沸かし、その蒸気を粘膜や皮膚に吸収させる温浴療法)が自宅でもできるように、本格的な座器やマントなど一式を買い、夜な夜な汗を流した。葉酸のサプリを取ったり、白湯(さゆ)を飲んだりする習慣を身につけた。そしてやはり最後は神頼み。白山神社や弥彦神社でも、何度も手を合わせた。

 それでも子供を授かるまでは、人知れず涙を流す出来事もあり、一筋縄ではいかなかった。子供ができることは「普通」ではなく、間違いなく「奇跡」なんだなぁ。落ち込む度に、かけてくれた主人の「大丈夫だよ」という一言が心に染みた。

 そして、18年。エコーで見る豆粒のような形の小さな命。人類の神秘に感動しながら、「この子を無事に産んで育てられるだろうか」というプレッシャーを全身に感じた。それと同時に、今までの道のりは、私たち夫婦にとって必要なプロセスだったと思うことができた。

 平たんな道ばかりだと、ついつい平和ボケをして、日常の大切さを忘れがちになってしまう。しかし、移籍・引っ越し・妊活と夫婦で結束しないといけない試練があるからこそ、家族の存在に感謝し、新たな命の尊さをさらに感じることができるのだと思った。

 この先、乗り越えなければいけない壁がまた出てくるかもしれない。でも、「新潟で母になる。強い母になるぞ」。大きな空を見上げて、静かに誓った。

2018年。妊娠7カ月の頃、鳥屋野潟のスポーツ公園にて
<ほんだ・ともこ>
1983年生まれ。愛媛県出身。立教大を卒業後、2006年にフジテレビに入社し、「すぽると!」などを担当。13年に、上越市出身でプロバスケットボール選手の五十嵐圭選手と結婚し、退社。現在、フリーアナウンサー。
[ オフィシャルブログはこちら ]