原子力政策は国策で進められてきたにもかかわらず、国の責任はまたも否定された。だが、全ての責任を免れるわけではない。原発事故の被害者に真摯(しんし)に向き合い続けることは国の当然の責務だ。

 東京電力福島第1原発事故で新潟県に避難した住民らが国と東電に慰謝料などを求めた新潟訴訟の控訴審判決で、東京高裁は19日、国の責任を認めず、東電にのみ賠償を命じた。

 2021年の一審新潟地裁判決とほぼ同様の判断で、22年に示された先行4訴訟の最高裁判決にもおおむね沿った内容となった。

 注目されたのは、福島第1原発を襲った巨大津波を予見できたかどうか、国が東電に命じて対策を取っていれば事故を防げたかどうかについてだ。

 高裁判決は津波の予見可能性については最高裁判決と同様に明確に示さず、地震は予測より規模が大きかったため「対策を講じていても、事故は防げなかった」として国の責任を否定した。

 22年6月の最高裁判決後、同種訴訟で国の責任が認められたことはない。日常を奪われ、国策の被害者ともいえる避難者にとっては受け入れ難い結論だ。

 控訴審では、原告のうち避難指示区域に居住していた155人が今年1月に和解したため、この日は避難指示区域外の625人についての判断となった。

 その賠償について判決は、原則として大人1人30万円、妊婦と18歳以下の子どもには60万円の慰謝料を支払うよう東電に命じた。

 一審判決の慰謝料大人1人25万円は上回るが、原告が求めた一審の額に300万円を加えた金額とは大きな差がある。

 長期にわたる避難による経済的損失、精神的苦痛に見合う額としてあまりに低い。原告弁護団長が「前進はしたが、救済には程遠い不当判決」とし、上告を検討する意向を示したのも当然だろう。

 判決で着目したいのは、避難指示区域外の原告について、平穏に生活する環境が損なわれ「事故によって避難を余儀なくされた」と、一審に続いて自主避難の合理性、相当性を認めたことだ。

 福島県と接する本県には多くの福島県民が避難し、今も暮らしている。新潟県民として引き続き寄り添い、支えていきたい。

 福島事故から13年余りがたった。廃炉作業は思うように進まず、避難者らがなお苦しむ中で、国と東電は柏崎刈羽原発の再稼働に向けた動きを活発化させている。

 国と電力会社の責任の所在が曖昧な状況では、原発立地地域の不安は募る。

 岸田文雄首相は「地元の理解を得られるよう、国が前面に立って原子力の必要性や意義を丁寧に説明する」と語るが、再稼働についてだけ威勢よく責任感を強調されても困るばかりだ。