ぼたん雪が舞っていたという。終戦から1年半後の1947年冬。村上町(現村上市)の民家の軒先で母と一緒に魚を売っていた少年に、みすぼらしい格好の若者が近づいてきた
▼満州で生き別れた兄だった。抱き合って再会を喜んだが、すぐに兄はこう言った。「何で俺を置いて帰ったんだ」。終戦後、兄はソ連軍(当時)に労働に駆り出され戻らなかった。日本人の引き揚げが決まり、少年の一家は連絡先の張り紙を残してやむなく帰国したのだった
▼兄はその後、日本の社会になじめず60代で世を去った。少年は満州で兄を探す途中、ソ連兵に撃たれたり、女性が暴行されるのを目撃したりした経験があった。長じて「軍人だけでなく、無辜(むこ)の民が傷つく戦争は憎悪しか生まない」と話している
▼少年は後に映画スター・宝田明となった。「ゴジラ」の主役に抜てきされ、撮影初日に「主役の宝田明です」とあいさつすると「ばかやろう。主役はゴジラだ!」という声が飛んだ。「『ごもっとも』と恐縮するしかなくて」と振り返った
▼水爆によって生まれたゴジラが、人間の手で海の藻くずと化すラストに号泣した。「ゴジラも水爆の犠牲者。同情を禁じ得なかった」。ユーモラスな役も演じられる二枚目だったが、戦争について語る際は端正な顔立ちをゆがませた
▼宝田さんの訃報が届いた。無辜の民も傷つくのが戦争の本質だと指摘した言葉は、今のウクライナの惨状に重なる。亡くなる直前まで戦火の行方を心配していたようだ。