ロシアの文豪トルストイの大作「戦争と平和」には、モスクワを占領した仏ナポレオン軍を撃退するロ軍総司令官クトゥーゾフが登場する。大事な軍議の最中でも居眠りするような、英雄とは程遠い人物として描かれる
▼破竹の勢いでロシア国内を東進するナポレオン軍に対し、クトゥーゾフは首都を明け渡す捨て身の作戦に出る。仏軍はそこで略奪の限りを尽くすが、大火で寒さをしのぐ建物や食料を失う。冬の到来を前に退却を始めたものの厳寒に阻まれ大惨敗を喫する
▼この作戦には当初批判が上がった。それでも総司令官は「モスクワを失うことはロシアを失うことではない」と言い張った。仏軍を追撃した際も、無益な戦闘はせず国境を越えて深追いしないことを原則とした
▼動きが鈍く見えるクトゥーゾフだが、耐え忍ぶことと時間を惜しまないことが最も大切という信念を持つ。トルストイは彼こそ「ロシア国民の代表者」と称した。翻って、ウクライナ侵攻を続けるプーチン大統領はどうか
▼ウクライナ東部に住む親ロ派の保護などを口実に武力攻撃を始めながら、真の目的は首都キエフを陥落させ傀儡(かいらい)政権を樹立することに見える。軍事力を過信するあたりはナポレオンに近い
▼英国の哲学者ラッセルは著書「幸福論」で、ナポレオンの生涯を引き合いに〈だれも全能になれない以上、権力欲に支配された生きざまが、いずれ障害にぶつかることは避けられない〉と指摘した。プーチン氏の未来を予言しているように思える。