旧制中学を受験した際に校長が明治天皇の和歌を詠み上げた。そこから出題されると思い、校長を真剣に見つめた。結果は不合格。後に理由を知る。天皇の歌に頭を下げず、忠誠心が薄いとみなされた

▼新潟市出身の映画評論家、佐藤忠男さんの体験だ。理不尽さに反発して受験をやめ、海軍飛行予科に練習生として入隊する。軍隊は立派な存在と思っていたが、理由もなく殴られ、その憧れも幻想だったと気付いた

▼当時、権威をまとっていたものたちに幻滅させられた。一方で、戦後すぐに見た米国映画に衝撃を受けた。通りを歩く女性にすれ違う男性が笑顔を向けている。日本では、若い男女が夜一緒に歩くだけで警察に引っ張られかねない。映画が描く米国社会はなんと明るく、健全なのかと思った

▼知らない世界を教えてくれる映画に魅了され、共に生きる道を歩む。新作の評論だけでなく歴史の中で映画が果たした役割についても研究した。戦前の日本では戦意の高揚に使われ、戦後は自由を追求した

▼アジアの知られざる作品の紹介にも力を注いだ。国家間に対立があっても映画が相互理解の助けになると訴えた。「互いの歴史や文化、感情を理解する知識がほしい。それには映画は非常にいい」「世界は面白い。この面白さを愛することができれば世界は平和になれる」

▼映画を道しるべに、この国と世界の姿を考え続けた佐藤さんが亡くなった。先日訃報が届いた宝田明さんといい、戦争を肌で知る映画人が世を去っていく。

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