あの災禍から60年を迎えた。節目の年は、くしくも能登半島地震で幕を開け、地盤の液状化や津波の襲来で、再び苦しい思いをした県民もいる。
地震は時を選ばずに起こるものだと、改めて胸に刻みたい。最優先すべきは命を守ることである。そのために何ができるか、備えを怠ってはならない。
1964年6月16日午後1時1分、粟島沖を震源とする新潟地震が発生した。マグニチュード(M)は7・5を記録し、新潟市など下越地域を中心に最大震度5の激震が襲った。県内では14人が死亡し、被災者は7万8千人を超えた。
◆体験ない世代が6割
県都の道路や宅地は激しく割れた。揺れと土地の液状化で、県営アパートなど多くの構造物が倒壊した。石油タンクの火災は290棟に延焼し、完全鎮火まで2週間を要した。
津波は村上市で高さ約4メートルに達し、海抜が低い新潟市内では約5千ヘクタールが浸水した。各地で土地の隆起や沈降もあり、粟島は島ごと1メートルも隆起した。
あれから60年が過ぎ、いまや新潟地震を体験していない50代以下が、県民の6割を占める。経験と教訓を語り継ぐ大切さはますます高まっている。未曽有の被害の一端は、元日に起きた能登半島地震でも現れた。
新潟市では西区と江南区で集中的に液状化が発生し、多くの住宅や事業所が損壊した。
液状化は過去に発生した地域で繰り返される傾向が裏付けられた。今回被害がなかったからといって油断してはならない。改めて地盤対策が求められる。
住宅の被害認定を揺れによる損壊を基準に調査する従来の手法では、液状化の被害実態を反映できないことも露呈した。
新潟地震で広範な液状化被害がその後の地震保険制度の創設につながったように、被害の実態を踏まえて救済策を改善することも必要だ。
研究者は、佐渡沖で能登半島地震の震源断層に連なる活断層が割れ残っている可能性を指摘している。
これが動いた場合、M7級の地震が発生し、本県沿岸を3メートル級の津波が襲う恐れがあるという。警戒を緩めてはならない。
◆避難場所の確認常に
県は今月、能登半島地震を踏まえて課題を検証し、防災力を高める対策検討会を設置した。
津波からの避難や孤立地域対策などを議論する。実効性ある対策を打ち立ててもらいたい。
行政が指針を示すことは不可欠だが、自分の命は自分で守るということも忘れずにいたい。
県や市町村が公表する災害ハザードマップで被害想定を確認するほか、津波に備えた高台の避難場所や避難ビルなども事前の把握が欠かせない。
高齢化で要援護者の比率が増す一方で、地域コミュニティーの関係が希薄化しているとも指摘される。新潟地震当時とは状況が大きく異なり、要援護者の避難には課題がある。
避難先で求められるのは、健康を害さず、関連死を防ぐ仕組みづくりだ。救えるはずの命が犠牲になるケースは能登の被災地でも生じている。適切なケアの在り方など、知見を結集し対策を練る必要があるだろう。
原子力災害との複合災害は、新潟地震の際にはなかったリスクだ。国が避難道路の確保などに力を尽くすのは当然だ。
避難については、国や県の方針を踏まえ、県民一人一人が考えておくことが重要といえる。
県内では新潟地震以降、震度6を超える地震がたびたび起きている。発生から今年で20年となる中越地震をはじめ、中越沖地震、新潟・長野県境地震、新潟・山形地震が相次いだ。
こうした傾向も踏まえ、県は22年に地震被害想定を24年ぶりに見直した。長岡平野西縁断層帯が動いた場合、最悪のケースで7920人が犠牲になる可能性があるとした。
被害を減らすため、どうすれば身の安全を守れるか想定しておきたい。災害への備えは、過去の被災対応を共有し、常に上書きしていかねばならない。