ツタンカーメンの黄金のマスク発見、信濃川の大河津分水通水、グリコのキャラメル発売-。ちょうど100年前、1922年の出来事だ。この年の3月13日に長岡市の花火師、嘉瀬誠次さんは生まれた

▼長岡大花火大会を有名にした功労者。高い技術と独創的なアイデアで大きくて繊細、美しい花火を数多く手掛けた。海外でも打ち上げ、長岡市民の誇りとなった。今も自宅で家族と暮らす。地元では100歳を祝う花火が上がり、功績をたたえるパネル展が開かれている

▼徴兵された嘉瀬さんは戦後3年間、ソ連によってシベリアに抑留された。「地獄だったですよ」。飢えと寒さ、重労働に耐えた当時をそう振り返っている。シベリアで亡くなった戦友のために作った鎮魂の花火「白菊」は、平和を祈る長岡花火の象徴だ

▼ロシア革命を経てソ連が誕生したのも100年前だ。ソ連時代は共に連邦を構成したウクライナを今、ロシアが武力侵攻している。地獄のような惨状が連日伝わる。心が痛むばかりだ

▼「長岡の花火」を代表作とする貼り絵画家の山下清さんが生まれたのも100年前。山下さんは1949年に長岡花火を見た。シベリアから戻った嘉瀬さんが花火作りに復帰した年だ

▼嘉瀬さんの花火は山下さんの名作だけでなく、よく知られる名言につながった。「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」。ウクライナに落ちる爆弾を全て花火に変えたい。

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