ヨーロッパのどこからが東欧で、どこからが西欧なのか。30年以上前の授業で習った分かりやすい線引きは集団的な防衛体制の枠組みだった。北大西洋条約機構(NATO)は西側の資本主義諸国で構成し、ワルシャワ条約機構は東側の共産主義諸国から成る
▼1990年代半ばにチェコを旅したことがある。共産党の独裁体制が崩壊して5年ほどたっていた。中世の街並みが残る首都プラハは旅行者であふれ、西欧と変わらない雰囲気のように感じた
▼道に迷い、地元の女性に片言の英語で尋ねたときのこと。女性は同じく片言の英語で道を教えてくれた後、打ち明けた。「私たちは若いときに英語も、外の世界も知る機会がなかった。あなたがうらやましい」。少し前まで、東西の壁が確実に存在していたことに気付かされた
▼それでも時がたつにつれ、東西の線引きは意識されることが少なくなった。ワルシャワ条約機構はなくなって久しい。一方、NATOは加盟国が増え、旧ソ連を構成していたバルト3国も加わる
▼経済分野でも東西の線引きは薄れた。西欧には石油や天然ガスといったエネルギー資源の供給をロシアから受ける国が多い。日本も一定量を依存する。しかし、ロシアのウクライナ侵攻でロシアやベラルーシと西側との対立は決定的になった。かつてのような線引きが、再び浮かび上がった
▼チェコで出会った女性の言葉を思い出す。人や物、文化の自由な往来を妨げる壁など、もう二度と築かれてはならないのだが。