中越、下越地方に甚大な被害を出した7・13水害からきょうで20年になった。教訓や得られた知見を語り継ぐとともに、改めて防災と減災を誓う日にしたい。
2004年7月13日は朝から記録的な豪雨となり、昼過ぎには見附市や長岡市の刈谷田川、三条市の五十嵐川などが破堤した。15人が犠牲になり、82人が重軽傷を負った。被害は当時の65市町村に及び、約8000棟が浸水した。
住民への避難勧告や指示が遅れたことで被害が広がり、行政の危機管理が厳しく問われた。
旧中之島町(現長岡市)が避難勧告を出したのは、堤防決壊の12分前だった。三条市は広報車で避難を呼びかけたが、雨音で聞き取れなかった住民が多くいた。
7・13水害を機に自治体がハザードマップを作成し、LINE(ライン)やメールなども使った情報通信手段の整備を進めた。三条市は細かな災害対応マニュアルを作り、それに基づいた防災訓練を行っている。
犠牲者の大半が高齢者で、災害弱者をどう守るかを突きつけられた水害でもあった。さらに高齢化が進んだ今、地域の防災力をどう高めていくかが課題だ。
下流の信濃川を含む3河川の拡幅や堤防のかさ上げなど1182億円を投じた水害対策事業は、10年度までに完了した。治水が進んだことで得られる安心感はあるが、油断は禁物だ。
気象庁によると、県内で観測された1時間50ミリ以上の「非常に激しい雨」は7・13水害が起きた04年以降に85回あり、03年までの20年間と比べて倍増した。
11年7月の新潟・福島豪雨で県が笠堀ダム(三条市)で観測した総降水量985ミリは、7・13水害の2倍以上だった。「数十年に1度」に該当する気象庁の大雨特別警報は、13年の運用開始以降、県内で2度発令されている。
背景には地球温暖化があるとみられている。毎年のように過去の記録を塗り替える近年の気象状況を考えれば、想定を超える豪雨はこれからも頻発する恐れがある。
7・13水害を経験していない世代も増えた。三条市役所では水害後に入庁した職員が過半数を占める。住民からも「水害の記憶は薄れている」との声が出ている。
悲劇を繰り返さぬよう、教訓を次の世代へ引き継いでいく努力が官民ともに求められよう。
日本の平野は国土の1割ほどで、大半が河川の氾濫でできたものである。先人は水と戦ってきた。河川延長が全国2番目で、低地が広がる本県にとって水害は宿命ともいえる。
住民は「自分の身は自分で守る」との意識を持つことが重要だ。県内では今週も雷を伴う激しい雨が降り、土砂崩れが発生した。最新の情報に気を配り、直ちに避難できる準備をしておきたい。