犠牲者を慰霊し、平和を祈る式典が国際社会の分断を象徴する場となってしまった。残念でならない。積極的に解決に動かなかった日本政府の対応も疑問だ。「長崎を最後の被爆地に」との誓いを決して忘れてはならない。

 原爆投下から79年となった9日に長崎市で開かれた平和祈念式典に、日本を除く米英など先進7カ国(G7)と欧州連合(EU)の駐日大使が欠席した。

 理由は長崎市が、パレスチナ自治区ガザを攻撃するイスラエルを招かなかったからだ。

 長崎市の鈴木史朗市長は「政治的理由でなく、不測の事態発生のリスクなどを総合的に勘案した」と説明した。

 しかし大使らは、長崎市がウクライナ侵攻を理由にロシアとベラルーシを招かなかったことを念頭に「ロシアやベラルーシのような国とイスラエルを同列に置くことになる」と反発した。

 パレスチナは招待していることから、エマニュエル駐日米大使は「政治的な決定で、安全とは無関係」と批判した。

 病院や学校などに激しい攻撃を繰り返すイスラエルは、世界中から厳しく批判されている。

 大使らの欠席は、平和を願う式典でイスラエルの行為を支持する姿勢を示したようにも見える。やるせない思いだ。

 特に原爆を投下した米国の大使は、被爆の実相を知るためにも出席は欠かせないはずだ。

 一方、長崎市は6月、イスラエル大使館に即時停戦を求める書簡を送付すると表明していた。

 これを踏まえると、不招待の理由には抗議の意が込められていたと思われる。だが鈴木氏は不測の事態発生のリスクが理由だと説明し、結果的に不招待の意図が曖昧に映ったことも否めない。

 問題は、日本政府が静観を続けたことだ。市と米側の双方に事態打開を働きかけた形跡は見えない。唯一の被爆国で「核なき世界」を掲げる政府としては、積極的に動くべきだったのではないか。

 式典後に岸田文雄首相は、国の指定地域外にいて援護対象となっていない被爆体験者と面会した。首相の面会は初めてのことだ。

 広島では被爆者と認められたが、長崎は対象外のままだ。救済を求める被爆体験者に首相は「厚生労働相に具体的な対応策の調整を指示する」と述べた。

 国は原爆投下後に「黒い雨」が降ったとの客観的な記録がないなどとするが、被爆体験者の高齢化は進んでいる。首相の主導で早急な解決に導いてもらいたい。

 新潟市は原爆の投下候補地だった。投下訓練のための模擬原爆が長岡市と柏崎市、阿賀町に落とされ、計6人が亡くなっている。

 広島や長崎で起きた惨禍をわが事と受け止め、不戦の誓いと核兵器廃絶への思いを新たにしたい。