1945年8月の長岡空襲の体験などを語る川上洸さん=長岡市
1945年8月の長岡空襲の体験などを語る川上洸さん=長岡市

 太平洋戦争の終結から8月15日で79年となる。戦いのさなか、子どもたちは学びの場から学徒動員で駆り出された。終戦を迎えても、空腹を抱える日々が続いた。大人が起こした戦争は、少年少女の目にどう映っていたのか-。当時、子どもだった人たちの記憶の糸をたどった。(5回続きの3)

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 「空の下の方が花火みたいに燃えているよ」。1945年8月2日未明、現在の新潟県長岡市摂田屋地区の自宅脇にあった防空壕(ごう)の入り口で、東京から疎開していた叔母が呼びかけた。防空壕から出て見上げると、数キロ先の長岡の市街地が真っ赤に染まっていた。

 8月1日夜に始まった長岡空襲。当時13歳で長岡高等女学校(現長岡...

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