
直江津空襲や捕虜との交流など、戦争体験を語る新保啓吉さん=上越市大潟区
太平洋戦争の終結から8月15日で79年となる。戦いのさなか、子どもたちは学びの場から学徒動員で駆り出された。終戦を迎えても、空腹を抱える日々が続いた。大人が起こした戦争は、少年少女の目にどう映っていたのか-。当時、子どもだった人たちの記憶の糸をたどった。(5回続きの1)
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1941年12月8日、旧日本軍による米ハワイ州真珠湾への空襲。太平洋戦争の発端となったこの出来事は、潟町村(新潟県上越市大潟区)の国民学校にも伝わった。勝利の報に教室は沸き返った。当時11歳で初等科6年だった新保啓吉さん(94)=上越市大潟区=も胸を躍らせた。「日本は神の国。絶対負けるはずがない」。信じて疑わなかった。
少年時代は、戦争と共にあった。国民学校を卒業後、直江津農商学校(後に直江津農工学校)へ進学した。3年になると毎日、学徒動員で...
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