疎開先へ向かう多くの幼い命が犠牲になった。80年前に起きた悲劇を決して忘れず、教訓を後世に伝えていかねばならない。
時が過ぎ、南西諸島では抑止力強化や有事を想定した避難が検討されている。防衛力の増強で緊張が高まり、地域の不安定化を招くことには危機感がある。
太平洋戦争中に沖縄を出港した学童疎開船「対馬丸」が撃沈され、1500人近くが犠牲になった事件から80年がたった。
1944年8月21日に長崎に向けて那覇を出港した対馬丸は、翌22日夜に鹿児島県・トカラ列島の悪石島沖で、米海軍潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没した。
現在の小学校に当たる国民学校の学童や教員ら計1788人が乗船していたという。判明した犠牲者1484人のうち学童は784人に上り、乳幼児を含め約千人の子どもが命を落とした。
真っ暗な海原で攻撃を受けた。幼い子どもたちが感じた恐怖は想像を絶し、あまりにむごい。
当時の政府は44年7月のサイパン陥落を受け、次の標的となりうる沖縄から女性や子どもら約8万人の本土疎開を決めた。
民間人の安全確保のほか、軍の食料確保などで足手まといになる住民を島外に退避させる狙いもあったとみられている。
しかし、南西諸島近海は既に戦場と化し、日本の補給路を断つために軍民の区別なく艦船が攻撃されていたという。
何日も海を漂流し、生還した人たちは今、「戦争の極限状態では、最初に弱い者が犠牲になる」「戦争になったら何もかもなくなる」と語る。体験者の重い言葉を胸に深く刻まなくてはならない。
悲劇を語れる人は年々減り、記憶の継承には課題がある。風化を防ぐには、記憶とともに記録を残すことが不可欠だ。
政府は、2025年度予算概算要求に、水深約870メートルの海底に沈む対馬丸を再調査する経費を計上する方針だ。継承に資する調査となることが期待される。
一方で憂慮されるのは、政府が台湾や尖閣諸島などを巡る有事を念頭に、防衛力を強化する「南西シフト」を進めていることだ。
本年度中に先島諸島からの避難計画を策定する段取りで、攻撃の恐れがある場合は、政府が「武力攻撃予測事態」を認定した上で、退避開始を自治体に指示する。
これについて、危機管理に詳しい識者は、認定により、日本が戦う構えを見せたと他国に捉えられる懸念があると指摘する。
政府は、民間の輸送力だけで不十分なら、自衛隊などの船舶を使うことも検討するというが、軍民一体とみなされて撃沈された対馬丸の教訓を再認識してほしい。
万一に備えることは大事だ。だが対話や外交努力を重ね、地域の緊張を解くことはもっと大事だ。