11年前の4月、作家の角田光代さんは東日本大震災で被災した東北の沿岸を歩いた。津波に襲われ、家並みが消えた町で満開の桜を見つける。こんなにも悲しい現実の中でも、この花は季節が巡ると美しさを誇るように咲くのか-
▼「毎年この時期になると桜は律儀に咲くものだね、何があっても咲くね」。タクシー運転手のこの言葉に、あの時の光景を思い出すと角田さんは随筆「律儀な桜」に書いた。ウイルス禍は日常化し、かつてのような観桜会も難しい。でも桜はたたえる人も、見る人もいなくても義理堅く咲く。本県でも開花の便りが届いた
▼「変わらないものがあるということは、ときに私たちを救うのではないか」。角田さんは何げない暮らしを彩る自然の底力をらんまんの花々にみた
▼戦禍の中のウクライナに日本の桜がある。どうなっているか気にかかる。2017年、日本とウクライナは外交関係樹立25周年を迎えた。かの地の20都市以上で千本を超す桜が記念植樹された。ロシア軍に包囲されている港湾都市マリウポリでも植えられた
▼「平和のシンボルになる」。日本公使と市長が握手し青いスコップで土を掘った。現地では10万人以上が取り残されているという。写真を見ると、植樹された沿海公園も街も廃虚と化したかのようだ
▼集中砲火で約5千人が犠牲になり、飢えも深刻という。そんな状況下、平和の象徴は一輪でもつぼみを膨らませ、開花の春を待っているのか。その律儀さを思うと胸が締めつけられる。