「教務室」と書かれたプレートと教務室=新発田市の西新発田高校(写真映像部・立川悠平撮影)

 「教務室に呼ばれたいやー」。かつて級友が発した言葉がふと脳裏に浮かんだ。3月。多くの児童・生徒たちが学びやから巣立つ季節だからだろうか。

 中高生だった時分に教師から呼び出された記憶もよみがえる。行き着いた先の「教務室」に、良い思い出は…おそらくない。

 「教務室」という言葉は、新潟県内でしか使われていない-。こんなうわさや説を何度か耳にしたことがある。県外では「職員室」が一般的なようだ。

 正直なところ、そんなものかと、あまり気にしていなかった。一方でインターネット上では「新潟の方言」説まで飛び交っている。

 学校関係者や県教育庁の複数の部署によると、県内では小中学校、高校の現場で広く「教務室」が使われている。教員の中には「教務室は使うが『職員室』とは言わない」という人も。

 広辞苑や大辞林などの辞書を引くと、「教務」はすぐに見つかる。ほとんどが「学校での教育に関する事務」といった内容だ。しかし、「教務室」や「教務-室」といった記載はない。

 ただ「給湯室」などの用語も載ってはいないので、教務室が新潟限定の言葉だと結論を出すには早すぎる。

 うわさは真実なのか、ただの「都市伝説」か。なんだか気になってきた。インターネットのサイトや学校史、古い資料など、あの手この手で調べてみた。果たして、真相は-。

 (報道部・高橋央樹)

「県立新発田高等女学校」時代の校舎平面図。右下に「教務」の文字がある(西新発田高校「創立百周年記念誌」より。矢印は補った)

正式名称は「職員室」と競り合う

 「プレート表示が職員室でも、教務室と呼ぶ」「意識せず教務室と言う」。県内の教員から聞いた声だ。

 では「教務室」と「職員室」はどちらが多いのか。県立と新潟市立の高校、中等教育学校を調べた。

 結論から言えば、調べた92校のうち「教務室」が54校で「職員室」は38校。意外なほど競り合っていた。

 各校が出す「学校要覧」という冊子を調べ、校舎配置図などを確かめた。いわば学校の「正式名称」だ。

 まとめていると、地域差があるようにも見えた=図参照=。新潟市内は教務室が14で、職員室が7とダブルスコア。佐渡市内は職員室が4で、教務室が1といった具合だ。地域差という新たな謎が生まれた。

 職員室が4割あるにもかかわらず、呼び方は圧倒的に「教務室」が優勢だ。

 ある高校の男性教諭は「転勤先が『職員室』だったので、初めて意識して職員室と言うようになった」と話す。「他の先生は教務室と呼ぶ人が多い」と加えた。

 小中学校や高校には、国が定めた「設置基準」がある。備えるべき設備の一つに「職員室」が挙がる。ただ、名称や呼び方に決まりはない。「職員室」の学校は、名称だけ基準に合わせているのかもしれない。

 別の高校の女性教諭は「意識して職員室と呼んだ時期もあったが、今は教務室だけですね」と笑った。

 周囲の人と合わせた呼び方をしている側面もあるだろう。忙しい先生方にとっては、呼び方を気にする暇はないのかもしれない。

西新発田高校の「教務室」(魚眼レンズで撮影)

岡山で使う学校を発見!!

 新潟県以外で「教務室」は使われていないのか。インターネットの検索サイトで「教務室」を調べた。結果はやはり、県内の学校関係、とりわけ高校の電話番号が多い。しかし県外の各種学校、教育機関で「教務室」を使う例もあった。

 ただ、使い方が異なるようだ。「職員室」とは明らかに異なる役割を持つ部屋や、組織名を指すものが目立った。大学や専門学校で、独立した「教務課」などの組織を持つケースだ。「教務事務室」などの名称もあった。

 短文投稿サイト「ツイッター」でも「教務室」を含む投稿を探し続けた。

 「教務室内のQ&Aスペースでテスト対策です」

 岡山県作陽(さくよう)高校が公式に投稿した内容が目に飛び込んできた。この使い方は「教務室」に違いない-。

「ツイッター」で発信された岡山県作陽高校による公式ツイートの画面。教務室の文字が見える

 作陽高は、ゴルフの渋野日向子選手、アルビレックス新潟の伊藤涼太郎選手らスポーツ選手を多く輩出している私立校だ。渉外部長の藤井崇広さん(48)に聞いた。「93年の歴史があり、私が知る限りはずっと教務室です。職員室ではないですね」。期待通りの答えだ。

 県外にも「教務室」を使う人たちはいる。言葉は不思議だ。なぜだか急激に親近感が湧いてくる。さらに「岡山県内で『教務室』を使う学校は他にもありますよ」という証言も得た。

 ネット上で公開している県外高校の「校舎配置図」を可能な限り調べると、一部は「教員室」で大半は「職員室」だった。わずかながら「教務室」もあった。

 全国的に「教務室」が一般的でないことは間違いなさそうだ。しかし、新潟「だけ」の用語でも、方言でもないことも分かった。

大正期にはすでに使用

 県内の学校現場ではいつから「教務室」が使われていたのか。調べると、大正時代には使われていたとみられることが分かった。

 新潟高校の百周年記念誌「青山百年史」のページをめくると、巻末の資料に「校舎配置図」を見つけた。

 基となる資料は不明だが、明治期は異なる三つの年代の図があり、表記はいずれも「教員室」だった=図参照=。

 1922(大正11)年になると「教務室」が初めて登場する。「学校教育法」適用後の49(昭和24)年だけが「職員室」で、その後は全て「教務室」だ。

 西新発田高校の創立百周年記念誌でも見つけた。同校の前身である「県立新発田高等女学校」の校舎平面図だ。「県立」としては明治後期から戦後間もなくまで存在した。年代の特定はできないが、戦前から教務室だったとみられる。

 明治期の校舎を「教務室」と紹介する学校史はまだあったが、年代や出典が不明などで資料性は低そうだ。

現在の西新発田高校の校舎案内図に記された「教務室」

県師範学校がルーツなのか

新潟青陵大特任教授 伊藤充さんに聞く

 なぜ県内で「教務室」は使われ始め、広まったのだろうか。ヒントを求め、県内の教育史に詳しい新潟青陵大特任教授の伊藤充さん(70)を訪ねた。

 「先生の学校、つまり師範学校が関係しているかもしれない」。そう言って、古い資料に当たってくれた。だが、手掛かりはなし。

 日を改め、再び訪れると「面白い物を見つけた」と資料を広げた。何と詳しく調べてくれていた。

 資料の一つが「新潟県新潟師範学校第十五、六年報」。1908(明治41)年4月から2年間の同校の記録だ。建物の平面図には「教務室」の文字があった。「あくまでも調べた限りだが、年が分かる一番古い教務室の記載だった」という。

 資料をよく見ると、教務室のほかに「職員室」が二つ確認できた。つまり、職員室とは別に教務室が存在していたことになる。

 伊藤さんの調べでは、明治期は県内の学校に「職員室」や「教員室」「教員局」「教員控所」などさまざまな呼び方があった。

 伊藤さんは推察する。「職員室」はもともと「教員や事務員の控え所で、休憩や食事をするような場所だったのだろう」。一方で教務室は「資料が置かれ、会議をするような、教育の機能に重点を置いた部屋だったのではないか」とみる。

 伊藤さんは教育の役割や体制の変化に伴い、次第に職員室と教務室が一体化したのではないかと考える。加えて、卒業した先生らが県内各地で「教務室」の用語を使って広まり、次第に定着した-。やや強引だが、そんな仮説を立てても面白い。いわば「県内の教務室は県師範学校が起源」説だ。

 近年では「職員室」を意図的に使う人も増えているようだ。背景には学校の変化がある。学校を中心に教員以外の人たちと共に、地域が一体となって教育活動に関わっているからだ。

 伊藤さんは「今後は職員室と呼ぶ人が増えるかもしれない。でも、たった一つの部屋の呼び方に社会の変化が現れている。言葉は時代の中で生きているんですね」としみじみ語った。

 教務室は実に奥深い。

資料を広げ、教務室について語る新潟青陵大特任教授の伊藤充さん

<取材メモ> なぜだろう。「職員室」よりも「教務室」の方が、言葉の響きに温かみを感じる。教務室の謎や起源を追うと意外な発見が多くあったが、謎も残った。「都市伝説」の類いは完全に解明されず、謎がある方が面白く楽しい。前より少しだけ、教務室が好きになった。

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