
68人が亡くなった2004年の新潟県中越地震2004年10月23日、新潟県中越地方を震源として発生した地震。旧川口町(現在の長岡市)で震度7、旧山古志村、旧小国町(いずれも現長岡市)、小千谷市で震度6強を観測した。新潟県や内閣府の資料によると、地震の影響で68人が亡くなり、4795人が重軽傷を負った。住宅の被害は計12万1604棟で、このうち全壊は3175棟、大規模半壊は2167棟、半壊は1万1643棟だった。から、10月23日で20年。小千谷市塩谷では児童3人の幼い命が奪われた。3人のうちの1人、星野和美さん=当時(11)=の兄匡裕(ただひろ)さん(37)は、在りし日の妹を思い浮かべながら、かつて自宅があった場所に立つ慰霊碑に、そっと手を合わせた。もし妹に会えたらこう伝えたい。「それほど親孝行できていないかもしれないし、一生懸命でないかもしれないけど、和美に恥ずかしくない兄でいたい」と-。
高校2年生だった匡裕さんは発生時、小千谷の街なかに遊びに行き、塩谷の自宅へバイクで帰る途中だった。地震で道は崩れ、バイクは通れない。何時間も歩いて真っ暗な塩谷にたどり着くと、1階部分がつぶれたわが家が目に入った。
家の前で母・美佐枝さん(61)が地面にうずくまっているのが見えた。「和美の名前を呼びながら泣いていた」。妹が犠牲になったことを悟った。
母にどのような言葉をかければよいのか…。「何も言わなかったというより、言えなかった」
火葬の時、涙が止まらなかった。「妹が亡くなったことは頭では理解していたが、心で理解したのはその時でした」。妹が自分より先に他界することに、理不尽さを感じた。
匡裕さんは高校卒業後、仙台市内の大学に進学。就職して10年ほど東京で暮らし、転勤で2022年に小千谷に戻ってきた。今は集団移転で平場に引っ越した両親らとともに暮らす。時折両親の農作業や養鯉業も手伝う。「長男だからなのか分かりませんが、両親を支えようという気持ちはあります」と照れくさそうに話す。
一番上が匡裕さん、下3人は女の子の4人きょうだい。次女の和美さんは、...