
車を巻き込んだ土砂崩れ、孤立集落の道路に書かれたSOS、全住民が長期間にわたって避難した村-。2004年10月23日に発生した新潟県の中越地震2004年10月23日、新潟県中越地方を震源として発生した地震。旧川口町(現在の長岡市)で震度7、旧山古志村、旧小国町(いずれも現長岡市)、小千谷市で震度6強を観測した。新潟県や内閣府の資料によると、地震の影響で68人が亡くなり、4795人が重軽傷を負った。住宅の被害は計12万1604棟で、このうち全壊は3175棟、大規模半壊は2167棟、半壊は1万1643棟だった。から、まもなく20年。被災現場で何が起きていたのか。人々の記憶に残る当時の報道写真を振り返り、あの時、あの場所にいた人たちを訪ねた。(6回続きの2)
中越地震発生から2日後の2004年10月25日。たくさんのヘリコプターが飛んでいた。ただ、降りてくる気配は全くない-。「忘れられているんじゃないのか」。孤立した集落住民に不安が募った。
震度7を記録した川口町(現長岡市)和南津(わなづ)で、当時1歳に満たない長女がいた丸山強一郎さん(57)は意を決し、家の前の道路に「たべもの SOS オムツ ミルク くすり」と消石灰で大きく記した。
国道17号のトンネルは崩落。和南津橋も段差ができて通行が不可能となり、和南津は孤立した。娘のミルクとオムツは1週間分しかない。町から救援物資に関する連絡も入ってこなかった。
「どうにかして窮状を訴えたかった」。家にあった消石灰を水で溶き、...
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