
長岡市役所が入るアオーレ長岡
1945年8月1日の「長岡空襲1945年8月1日午後10時半から1時間40分にわたり、米軍のB29爆撃機125機が16万発以上の焼夷(しょうい)弾を投下した。長岡市の当時の全戸数のうち8割にあたる約1万2千戸が焼失。7月20日の模擬原爆の犠牲者4人と合わせ、判明しているだけで1488人が亡くなった。」から2025年で80年になることを踏まえ、新潟県長岡市は12月16日、空襲や戦争に関連した資料の収集に力を入れる方針を明らかにした。26年には長岡戦災資料館(城内町2)が規模を拡大して移転する予定で、戦時の記憶の継承や展示の充実につなげる。
12月16日の長岡市議会12月定例会総務委員会の質疑で、五十嵐正史庶務課長は「当時の体験談や資料の収集は、本当にこのタイミングが最後のチャンスだと認識している」と答弁し、...
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