両津湾の定置網に入ったアオリイカやアジを引き揚げる漁師たち。寒ブリの姿はなかった=2024年12月、佐渡市の黒姫沖
両津湾の定置網に入ったアオリイカやアジを引き揚げる漁師たち。寒ブリの姿はなかった=2024年12月、佐渡市の黒姫沖

 「あの魚が取れない」といった話を最近、耳にしませんか。逆に小売店で見かけるようになったものもあるかもしれません。温暖化をはじめ、さまざまな要因が絡み、海や川の環境が変わっています。魚や海藻といった恵みにも響き、食文化に関わってきています。自然の変わりようには、私たちの暮らしが及ぼす影響もあります。海や川が発するシグナルには、いろいろな警告やメッセージがあるはず。大型企画「碧(あお)のシグナル」は、それを読み解きながら、次代に恵みをどうつなぐのか探ります。初回シリーズ「新潟の変わる魚影」では、漁師らの思いに迫ります。(8回続きの1)

 冬型の気圧配置が強まった2024年12月6日。空が白みがかった午前6時半過ぎ、3隻の船がエンジン音を響かせ、佐渡市の黒姫漁港を離れた。1キロほど沖にある定置網を引き揚げるためだ。時折、雷鳴が響く。「ことしこそ寒ブリが豊漁に」。そんな思いを募らせながら、海を行く。

 特に脂がのった7キロを超える大型の寒ブリは、高値で取引される。黒姫沖もその漁場の一つだ。

 雨がっぱにヘルメット姿の男衆は海を見つめる。10分ほどで網に取り付いた。魚を運ぶ「主船(おもぶね)」である第1明神丸の左舷に20人ほどが並ぶ。長い方で90メートル、短い方で60メートルほどある魚が入った網を別の船と挟み込んでいき、引き揚げる。

 遮るものがない海上。体が持って行かれるほどの強風が吹く。「黒姫の谷筋を通って風が吹くんだ」。乗組員の一人はこう話しながら作業を続ける。15分ほどで網が水面に上がった。

 この日の水揚げは、ヒラマサやアオリイカなど。寒ブリの姿はなかった。漁を取り仕切る船頭、伊藤俊之さん(59)は「佐渡を素通りしている」と不漁続きを嘆く。その3日後、別の定置にブリが入ったが、数としてはわずか。両津湾ではまだ大漁の気配がない。

寒ブリを求めて定置網漁を行う漁師=12月、佐渡市の海上

 第1明神丸を軸とする船団が、佐渡市・黒姫漁港に戻ったのは、出漁からおよそ1時間後の12月6日午前7時半ごろだった。帰ってもなお、小雪交じりの雨が漁師のかっぱに打ち付ける。冬の漁の厳しさを物語る。

 「佐渡の先の富山や福井で『寒ブリが大漁だ』なんてニュースを聞くと、うらやましくなるよね」。ストーブがたかれた番屋の一室。伊藤さんは熱い缶コーヒーで一息つきながら漏らす。豊漁を期待する一人だ。

 「両津町史」などによると、両津湾の定置網漁は明治期に本格的に始まった。北東に口を開いたような形の湾で、絶好の漁場だ。冬、南下してくる丸々と太ったブリのコース上にある。

 伊藤さんは脱サラして37歳の頃に漁師になった。乗組員から経験を積んで、初めて船頭の役を担ったのは5年ほど前。「一度で船に揚げきれないほど」の大漁に出合った。「やっぱり大漁はいい」と今も喜びを覚えている。

定置網から水揚げされたたくさんのサバ。この日の市場にも、待望の寒ブリがずらりと並ぶことはなかった=12月、佐渡市の佐渡水産物地方卸売市場

 その両津湾が今、...

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