今回の脳番地日記は、実家近くの新信濃川(大河津分水)にまつわる話です。

 人工河川である大河津分水路の工事は、1870(明治3)年に始まり、1922(大正11)年に通水したとされています。右岸側にある私の実家の長岡市寺泊野積地域は、分水路の完成に伴って、一部が左岸に分かれました。

 幼少期には、祖母と左岸の親戚宅に行くのに、祖父の船に乗り、帰りは木造の野積橋を渡っていました。この木橋は31(昭和6)年に架けられたもので、現在の2代目野積橋は67年6月に竣工(しゅんこう)しました。当時6歳の私は、祖母に手を引かれて式典に参加しました。

 初代野積橋は老朽化していて、バスで渡る時、子ども心に恐怖を感じ...

残り376文字(全文:676文字)