生まれ育った街が軍隊に包囲され、妻や娘と生き別れになる。ロシアに侵攻されたウクライナの今を思わせるような体験をした。訃報が伝えられた元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシムさんだ

▼旧ユーゴスラビア解体後の1992年、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立決定を機に、セルビア人勢力とイスラム教徒、クロアチア人勢力の間で民族紛争が勃発した。ボスニアの首都サラエボはセルビア人勢力に包囲され、オシムさんの妻子も取り残された

▼サラエボでは通りを歩くだけで銃弾にさらされた。この包囲戦で子ども約1600人を含む1万1千人以上が犠牲になった。8割は一般市民だったとされる。オシムさん一家が再会を果たすまでには2年半を要した

▼「自分たちはあの紛争でたまたま幸運なことに生き残ったに過ぎない。多くの無辜(むこ)なる住民の命が絶たれたことを思うと、妻との再会を美談になどしてほしくない」。オシムさんは後にこう語った(木村元彦「オシム 終わりなき闘い」)

▼母国の代表チームが民族間の対立を乗り越えてW杯への出場を決めた際は、サッカーの可能性を問われ、こんな言葉を残した。「一緒に生きられるということ」「それで戦争を忘れられる」

▼平和とは、ただ戦争がない状態を指すだけではない。家族やサッカーなど人々が心のよりどころにするものと共に暮らせる日常のことでもあるはずだ。そんな日々がどれほど大切で価値ある存在なのかを、オシムさんの生涯は教えてくれる。

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