子どもが生きるためには支えてくれる大人が欠かせず、安心して暮らせる場所や教育も必要だ。ロシアの侵攻を受けたウクライナの窮状を見るにつけ、被害を受けた子どもたちのことが気に掛かる

▼〈夏草や戦争孤児の詣でる墓〉太田空賢。以前の本紙読者文芸欄に載った句だ。戦火に親を奪われ、どんな苦難の道をたどってきたのだろうか。どんな思いを胸に、墓に向き合っているのだろうか

▼本紙記者の大先輩である故原田新司さんのことを思い出す。1945年8月の長岡空襲で自分以外の家族7人全員を失った。当時は旧制長岡中学3年で、学校の消火活動を終えて帰宅すると、家が焼け落ちていた

▼直後は「何を考えていたか記憶がない」。数日たつと家族を思うたび涙がこぼれた。それでも生きるため、悲しんでばかりはいられなかった。自宅の土地を売るなどして生活費を工面し、親戚を頼って大学に進学した

▼終戦2年後、昭和天皇が長岡を訪れた際、原田さんは本紙記者の取材を受けた。「戦災地の現状をよくご覧になってほしい」とだけ答えたが、記事では「運命と思いへこたれません」と美談仕立てになっていた。その時のわだかまりが、事実をありのままに伝えるという記者としての原点になった

▼太平洋戦争後の日本には12万人以上の戦争孤児がいたという。途方もない悲しみを背負い、厳しい環境の中で生きることを余儀なくされたことだろう。きょうは、世界の子どもたちが幸福に暮らせることを祈る日である。

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