「B29県下に侵入、投弾 惧(おそ)れず固めよ防空態勢」。第2次大戦中の1945年5月6日付本紙に、こんな見出しが掲載された。記事には現在の上越市直江津地区に同5日、米軍機B29が飛来し、爆弾を投下したが、被害は皆無だったとある
▼直江津の工場群を標的にしたこの攻撃により、実は死者3人、重軽傷者5人の被害が出ていた。県内初の空襲となった「直江津空襲」である。当時は軍部の報道統制が厳しかったとはいえ、事実を書けなかったのは、本紙にとっても痛恨事だった
▼上越市の郷土史家らがまとめた戦争の記録集「こんな日々があった」には、直江津空襲に関する生々しい記述がある。爆弾の落下地点に近い鉄道の駅舎には爆風で飛ばされたピンク色の人肉が点々とへばりついていたという
▼直江津にあの日投下されたのは50キロ爆弾が7発だった。ロシアが軍事侵攻を続けるウクライナにはいったいどれだけの爆弾やミサイルが撃ち込まれているのだろう。兵器の先には、数え切れない悲劇が起きているはずだ
▼戦争の実態が正しく伝われば、反戦世論の高まりが期待できる。だが、戦時の指導者が自身に都合の良い情報だけを発信したがるのは、古今東西変わらない
▼直江津地区の黒井公園には、空襲の記憶をとどめるための標柱が立つ。そこには上越市の児童文学作家・杉みき子さんの詩が刻まれている。〈戦争のいたみをつねに思いおこし/平和を考えるよすがとするために〉。人間はなぜ同じ過ちを繰り返すのか。