多くの命が失われた歴史に思いを巡らせることは、終戦から歳月を経るほど意義深いものとなる。惨禍の記憶を戦後80年のさらに先へと継いでいかねばならない。
天皇、皇后両陛下が戦没者を慰霊するため東京都小笠原村の硫黄島を訪問された。
硫黄島は本土防衛の最前線だった。1945年2月に米軍が上陸し、約1カ月にわたる激戦で本県出身者を含む多くの日本兵が死亡した。島に残り道案内などを担った人々も犠牲になった。
両陛下は日米双方の犠牲者を悼む広場などを回り、拝礼した。激戦の地を訪ねる「慰霊の旅」からは、記憶の継承への強い思いがうかがえた。
初めて訪問する両陛下の姿を強制疎開させられた島民の子孫らが見守った。懇談の場で両陛下は「本当にご苦労されましたね」と言葉をかけた。
陛下は2月、「戦争の記憶が薄れようとしている今日、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や歴史が伝えられていくことが大切である」と思いを述べていた。65歳の誕生日に際しての会見だった。
戦争を実体験として知る世代は減り、戦後生まれが人口の8割を超えるまでになっている。両陛下も戦後生まれだ。
今回の訪問は、戦時体験の継承と非戦への思いを具体的な形にしたものといえる。
過ちを繰り返さぬために、戦争の記憶を次の世代へと着実に伝えていくことが欠かせない。
両陛下は被爆地の広島、長崎、多数の住民が地上戦に巻き込まれた沖縄への訪問も予定している。
平和への思いをいかに示すか。戦争を経験した上皇さまとは異なる「象徴」としてのあり方を模索する節目の年になる。
硫黄島では遺骨収集事業が続くが、厚生労働省によると、今年1月末時点で日本兵の遺骨収容は1万710柱にとどまり、約1万1千柱がまだ収容できていない。
遺骨の帰還を待つ家族も高齢になっている。多くの遺骨を収容できずにいることを日本政府は重く受け止めるべきだ。
島は68年に米施政権下から返還されたが、強制疎開させられた住民の帰島は今なおかなわない。
火山活動や産業整備の難しさから、国が「定住は困難」としているためだ。故郷を奪われたままの人々の声に耳を澄ませたい。
石破茂首相も3月に硫黄島を訪問した。「世界に平和と繁栄をもたらす日米同盟を新たな高みに引き上げていく」と語った。
対米関係だけにとらわれてはいけない。唯一の戦争被爆国の首相としての姿勢が問われる。