
長期企画「碧のシグナル」の第4シリーズ「寺泊で生きていく」は長岡市寺泊地域に密着します。漁師の魅力と苦労とは、人口減少が進む中でどのようにまちづくりを進めていくのか。地域の人たちの思いを通して考えます。(8回続きの8、番外編に続く)
長岡市立寺泊小学校の校歌にこんな一節がある。「歴史に深き 由緒ある 誉(ほまれ)や高し 寺泊-」。64年前に卒業した三上徹人(てつひと)さん(76)は、海から歩いて5分の山沿いにある寺泊の総鎮守「白山媛(しらやまひめ)神社」から海原を眺め、語った。「今になってやっと校歌の意味が分かってきた」
北前船の寄港地として人や物の行き来が盛んだった寺泊地域。鎌倉時代には、佐渡に流罪となった人たちがここから海を渡った。
まちには航海の安全を祈願して船主や船頭が船絵馬を奉納した白山媛神社、佐渡に配流となった順徳上皇らを迎え入れた豪族の邸宅跡「聚感園(しゅうかんえん)」をはじめ、史跡や神社仏閣が多く残る。

三上さんは、これらの神社仏閣を1キロ圏内で巡ることができる「ロマンス街道」に寺泊魚の市場通りの観光客を呼び込みたい考えだ。高台から見える海や夕日もすばらしく、「ちょっと足を伸ばせばこんなにきれいな景色が見られるわけよ。地域を周遊し、住みたいと思ってもらえる世界を構築したい」と力を込める。
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この思いの背景には、寺泊の人口減少に対する危機感がある。3月1日現在は7948人で、ここ10年の減少率は22%に上る。50年前の1975年からの10年間は4%減で、近年になるほど加速している。
また寺泊小の1日現在の児童数は143人、大河津小は112人で、10年前と比べ、いずれも3割以上減った。三上さんは「俺たちの時は小学校がもっとあった。1学年150人くらいいたが、急激に減った」と言う。

魚の市場通りから一本入った通りも、...