
長期企画「碧のシグナル」の第4シリーズ「寺泊で生きていく」は長岡市寺泊地域に密着します。漁師の魅力と苦労とは、人口減少が進む中でどのようにまちづくりを進めていくのか。地域の人たちの思いを通して考えます。(8回続きの5)
そこかしこに漁船が並ぶ寺泊港。3月中旬の夕方、岸壁に金田真琴さんと馬場隆行さんの姿があった。ともに47歳。新潟市内の同じ高校、大学に通った。そこから一度は別々の道を歩んだ2人だが、刺し網漁師として再び人生が交わる。
4トンの「宝丸」を操る金田さん。漁師のキャリアは20年を超える。春先はカレイ、夏は高級魚のノドグロなど、さまざまな魚を狙う。「いつだったか、ノドグロで浜一番の水揚げになった時はうれしかったなぁ」。寺泊の刺し網漁師でトップ級の水揚げを誇る。
大学を出てから2、3年は「ふらふら」したが、長男でもあり、20代半ばで漁業の道に入った。父は組合長まで務めた漁師。「昔、1日の水揚げ額が記された青い紙が食卓に上がっていたんですよ。20万円とか30万円とか書いてあって」。当時はバブル期で資源保護という意識も薄い時代。稼ぎの良さが記憶に残った。
「子どもの頃から手伝いで乗っていた」とはいっても、漁師にマニュアルはない。父親とともに漁に出て、手順や漁場を体に染み込ませた。7年ほど前、父親が脳出血で倒れて引退。「おっかなびっくり」で船頭となった。
漁師はかつては家族で代をつなぐ例が多かった。だが、寺泊でも遊漁への転向や子どもが別の道に歩むなどして、30年ほど前に10隻ほどあった沖合での刺し網漁船が、今は5隻ほどに減った。「10年後には2隻残るかどうか」と金田さん。「教えることは難しいが、新しく外から来てもらうことが必要」と感じる。
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あごひげがトレードマークの馬場さんは...