県内に住む60代前半の男性は夫婦で出かけるとき、妻の顔に化粧を施すという。妻は2年前に若年性認知症と診断され、最近は化粧をすることも難しくなったからだ

▼若年性認知症は18歳以上65歳未満で発症する認知症の総称だ。この病を当事者の視点で描いたのが荻原浩さんの小説「明日の記憶」。広告代理店営業部長の主人公は、50歳でアルツハイマー病と診断される。日常が次々と崩れていく様は胸に迫る

▼ある日、部下を通じて病を知った上司が「療養に専念したほうがよくはないか」「早期希望退職っていうかたちでどうだろう」と迫る。会議の無断欠席や社内で迷ったことなど「失点」を突きつけ追い詰める

▼現実の世でも企業側に理解がなく、退職せざるを得なくなる例は少なくないと聞く。「働き盛りの認知症」ともいわれ、当事者が一家の経済を支えていたり子育てをしていたりと影響は大きい

▼介護サービスなど支援体制は不十分で、介護する側の負担も大きい。妻に化粧をする男性も介護休暇などを使ったが、業務と両立できず会社を去った。「誰にでも起こること。自分のような人が出てきたとき、職場に残れるように制度をつくったほうがいい」と労働組合役員に言い残した

▼小説は2004年に発表され、06年には映画化された。ともに県人の渡辺謙さん、樋口可南子さんが主人公夫婦を演じた。若年性認知症への社会の理解はいまだに十分とはいえない。誰にでも起こること。男性の言葉の重さをかみしめたい。

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