道なき道を切り開く第一歩を踏み出したのが、30年前のきょう5月2日である。米メジャーリーグにおける日本人の実質的なパイオニアとされる野茂英雄さんが、初めてメジャーのマウンドに立った

▼1球目は当初から決めていた直球だった。5回を被安打1で失点0。勝ち星は付かなかったが、日本を代表する投手としての実力を本場で見せつけた

▼1年目から13勝し、オールスター戦で先発も務めた。足かけ14年で2度のノーヒットノーランを達成するなど、通算123勝を挙げた。先駆者の挑戦後、この30年で約70人の日本人メジャーリーガーが生まれた。何人もがトップレベルで躍動し、日本での開幕戦も実現した

▼国内で実績があった野茂さんだが、日本球界における選手の扱いに不満を募らせ、球団と確執を生んだ末に渡米した。当時の経緯は「野茂英雄 僕のトルネード戦記」に詳しい

▼プロ野球コミッショナーが「第2の野茂を出すな」と各球団に通達したほか「裏切り者」「メジャーでは通用しない」など激しいバッシングを受けた。野茂さんは「帰ってくる場所はない」と覚悟し、日本時代の約15分の1の年俸でドジャースと契約した

▼国内の批判をねじ伏せたのは米国での活躍だった。選手の個性と意思を尊重するメジャー流を体現し、日本の球界や選手の意識にも変化を呼び込んだと言える。貢献は計り知れない。球界との断絶を辞さない決断がなかったら、日本選手のメジャー進出はもっとずっと遅れていただろう。

朗読日報抄とは?