多くの住民の尊い命が犠牲になった沖縄戦の実相をねじ曲げる発言だ。戦後80年の節目に、政治家は悲惨な戦争を引き起こした過去と向き合い、非戦の決意を確認する責任がある。
自民党の西田昌司参院議員が、太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった学生や教員を慰霊する沖縄県糸満市の「ひめゆりの塔」について、展示説明が歴史を書き換えているなどと発言した。
那覇市で行われたシンポジウムで「日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった。そして米国が入ってきて、沖縄が解放されたと、そういう文脈で書いている」と述べた。
ひめゆりの塔に併設する平和祈念資料館の展示は生存者らの証言に基づき、皇民化教育により生徒が軍国少女に育っていったことなどを紹介している。
普天間朝佳(ちょうけい)館長は米軍を肯定的に評価する内容の説明はこれまでもしていないとした上で「体験者の思いを踏みにじり、冒瀆(ぼうとく)する発言だ」と反発した。
歴史認識の誤った発言と指摘するほかない。
悲惨な沖縄戦の教訓を後世に伝えようと取り組んできた県民の憤りは当然だ。
西田氏は「沖縄の場合、地上戦の解釈を含めてかなりむちゃくちゃな教育のされ方をしている」とも述べた。「何十年か前」の記憶で発言をした西田氏こそ、学び直すべきではないか。
当初は発言を正当化していた西田氏だが、批判の高まりを受け9日になって撤回した。今回の謝罪で終わらせるのではなく、今後も沖縄の歴史と県民の声に向き合い続けるべきだ。
自民党内からは「沖縄県民の心を傷つけた」などと非難の声が上がった。一方で、夏に参院選を控え、保守的な有権者の離反を恐れて静観する動きも見られた。
石破茂首相は戦後80年に当たり、閣議決定による首相談話の策定を見送る意向を固め、代わりに先の大戦の検証に着手する方針を示している。背景には、首相談話の発出に反対する党内保守派への配慮がある。
党内には2015年の安倍晋三元首相が発表した戦後70年談話で「謝罪外交」に明確に区切りがついているとし、新たな談話は不要との意見が根強くある。
だが、歴代内閣は1995年の村山富市元首相による戦後50年談話から10年ごとに閣議決定による談話を出してきた。
談話を発表することは、非戦の決意を世界に示す上でも大きな意味があるのではないか。
戦後、米軍統治下に置かれ、日本に復帰した後も在日米軍専用施設の7割が集中し、米軍による犯罪が後を絶たない沖縄に対して、石破政権は真摯(しんし)な姿勢を示さねばならない。