彼女が生きていたら、中国と台湾の関係や香港の現状を嘆いていたに違いない。日本で「時の流れに身をまかせ」や「つぐない」が大ヒットした歌手のテレサ・テン(鄧麗君)が42歳の若さで亡くなってから、今月で30年になった
▼甘美で情感に訴えるような歌声は日本国内だけでなく、故郷の台湾や中国のほか世界各地の華人たちを魅了した。失礼、今でも魅了している。民間企業が実施したカラオケで歌い継がれている昭和ソングのランキング調査で、「時の流れ…」は4位だった。先日も同僚が歌っていた
▼「アジアの歌姫」と親しまれたテレサの両親は、中国出身。父親は国民党の軍人で、共産党軍に敗れて台湾に渡った。平野久美子著「テレサ・テンが見た夢」によると、彼女は台湾も中国も、当時は中国へ返還前だった香港も「みんな同じ中国人」と語っていた。そして、すべての中国人が平和で、民主的に生きることを願っていた
▼そのための活動も惜しまなかった。1989年、香港で開催された中国民主化支援コンサートには「民主萬歳」と書いた鉢巻きを締め臨んだ。しかし、天安門事件で彼女の夢は砕かれる
▼時の流れは残酷だ。活動拠点だった香港も彼女の死後、民主化を求める雨傘運動が起こったが、香港国家安全維持法などにより民主的な動きは影を潜めた
▼さらに中国は台湾へ軍事的圧力を強め、武力での統一も辞さない構えでいる。テレサの願った夢は遠くなるばかりだ。悲しみに満ちた歌声が聞こえてくる。