今もなお救済を求めて声を上げ続ける人がいる。その思いを受け止め、全被害者を救済する方策を構築することが求められている。
60年前の1965年5月31日、四大公害病の一つである新潟水俣病が公式確認された。
熊本県で水俣病が公式に発見された9年後だった。どちらも工場排水に含まれたメチル水銀が原因で、水銀に汚染された魚を食べた人々は、感覚障害や視野狭窄(きょうさく)などの症状に苦しめられてきた。
救済を求める訴訟が相次ぎ2度にわたる政治決着が図られたが、被害を訴える人は後を絶たない。
新潟水俣病の関連では、新潟地裁で第5次訴訟と、第2次行政訴訟の二つの裁判が継続中だ。
第5次訴訟では一部原告への判決で47人中26人を水俣病と認めたが、国の責任は否定した。残る原告の審理が続くほか、判決を受けた原告44人が控訴している。
第2次行政訴訟は県と新潟市に、8人が患者認定棄却の取り消しと認定義務付けを求めている。
国は、問題が長期間にわたり、完全解決に至っていないことの重みを認識するべきだ。
長期化する原因の一つが、公害健康被害補償法に基づく水俣病の認定審査で、国が厳格な基準を設けていることだ。
本県では今月、4年3カ月ぶりに1人が認定された。しかし、裁判で水俣病と認定されながら審査で棄却された人もいる。国と司法で判断が割れる「二重基準」の状態が続いている。
「国による患者の切り捨てだ」との批判が出るのも当然だ。当事者の「悔しい」という思いに、国は正面から応えてほしい。
新たな救済策の構築を目指す動きもある。超党派の国会議員連盟が被害者救済法案の提出に向け、協議を進めている。ただ、提出の時期などは不透明だ。政治には速やかな動きが求められる。
水俣病に対する差別や偏見が根強いことも課題だ。
「家庭教師のトライ」の運営会社トライグループ(東京)がオンライン教材に「水俣病が恐ろしいのは遺伝してしまうこと」と誤った表記をしていた。
水俣病が遺伝するという事実はなく、深刻な誤りだ。こうした事態が生じたのは、今なお水俣病への理解が十分に広がっていないことが背景にある。
病気に対する差別や偏見が新型コロナウイルス禍でも大きな問題になったことは記憶に新しい。正しい知識を持つことは差別や偏見をなくすことにつながる。
県内の被害者らは学校などを訪れて思いを伝える語り部の活動を続けるほか、子どもたちに水俣病について考えてもらう作文コンクールなどの取り組みも続く。
国や県などは、過去のこととせず、啓発に向けたさらなる努力が必要だ。そして、私たちも身近な問題として新潟水俣病に向き合っていきたい。
浅尾慶一郎環境相はきょう、教訓と歴史を伝える県主催の式典に出席した後、被害者団体との懇談に臨む。被害者が直接救済を訴えるほか、流域住民の健康調査などが議論される見通しだ。
環境相との懇談を巡っては昨年、熊本県で被害者が発言中にマイクを遮断される事態が起きた。
環境省側は制限時間超過を理由としたが、半世紀以上の苦しみを短時間で語り尽くすことができない被害者への思いやりに欠けた対応で、許されないことだ。
被害者の積年の思いを真摯(しんし)に聞き、解決への道筋を共に考える時間にしてほしい。