野球、スポーツの枠を超えた存在だった。太陽のごとく戦後の日本を明るく照らした功績は、これからも語り継がれるだろう。
「ミスタープロ野球」「燃える男」と呼ばれた元巨人の長嶋茂雄さんが3日、亡くなった。89歳だった。
1958年からの17年間で首位打者6回、セ・リーグの最優秀選手にも5回選ばれるなど輝かしい記録を残す。世界のホームラン王、王貞治さんとのONコンビで巨人の9連覇を支え、プロ野球の黄金時代を築いた。
巨人軍監督としても通算15年務め、5回のリーグ優勝と2回の日本一を誇る。
数字だけでは表せぬエピソードの数々が長嶋さんらしさであり、国民的英雄たるゆえんだ。
59年、昭和天皇を迎えた天覧試合で、ライバル阪神を相手に劇的なサヨナラ本塁打を放ったのはあまりにも有名だ。スター性を印象づける勝負強さがあった。
ヘルメットを飛ばすほど豪快な三振は絵になった。「背番号3」はサードの守備でも華麗な送球で球場を沸かせた。天真らんまんなキャラクターが愛された。
日本中がナイター中継にくぎ付けになった。テレビ文化を盛り上げたといえる。
日本を活気づけ、高度経済成長をけん引するかのように歩んだのが長嶋さんだった。
戦後の経済成長が初めてマイナスに転じた74年にバットを置いた。引退セレモニーで語った「巨人軍は永久に不滅です」は、国民の記憶に残る。
2004年アテネ五輪の日本代表監督としてアジア予選を突破したものの、脳梗塞で倒れ、本番では指揮を執れなかった。無念だったはずだ。
懸命にリハビリを重ねる姿に励まされた人も多いだろう。倒れてから9年後、国民栄誉賞を受けるために東京ドームに立つと、大きな拍手に包まれた。
このとき巨人と米大リーグで活躍した松井秀喜さんが同時に受賞した。師弟が並ぶ光景は、改めて長嶋さんの指導者としての実績を思い起こさせた。
大谷翔平選手ら日本人選手が大リーグを席巻する時代を迎えている。プロ野球を国民的スポーツに押し上げた長嶋さんの功績があってこそだ。
現役時代の雄姿も晩年の不屈さも、長嶋さんの逸話はこれからも人々の心に残るはずである。