凱旋門の土台跡を見つめる髙村志津夫さん。「子どもの頃は、黄色だった記憶がある」と話す=佐渡市戸地
凱旋門の土台跡を見つめる髙村志津夫さん。「子どもの頃は、黄色だった記憶がある」と話す=佐渡市戸地

 戦争に関連する遺跡や建物は、戦禍や歴史を今に伝える貴重な「無言の語り部」だ。ただ戦後80年が経過して多くが失われ、現存する物も保管や活用の在り方が問われている。県内に残る戦争遺跡を紹介する。

 出征する兵士を見送る際に使われた「歓送門(凱旋(がいせん)門)」の土台跡が、佐渡市相川地区の戸地(とじ)集落の入り口付近にある。四角形で、大きさは縦横約80センチ。柱の挿入用とみられる縦横十数センチの穴が、中央に開く。土台の一方は道路拡幅に伴い破壊されたといい、現在は片方だけ、当初の位置から数十メートル離れた場所に残されている。

 当時の戸地青年会誌によると、1940(昭和15)年の総会で、恒久的な門の設...

残り496文字(全文:796文字)