
焼夷弾が突き破った屋根の補修跡が残る予備発電機室棟で、当時の様子を語る小林善雄さん=長岡市水道町3
戦争に関連する遺跡や建物は、戦禍や歴史を今に伝える貴重な「無言の語り部」だ。ただ戦後80年が経過して多くが失われ、現存する物も保管や活用の在り方が問われている。県内に残る戦争遺跡を紹介する。
1945年8月1日夜の長岡空襲は長岡市の市街地の8割が焼失し、7月の模擬原爆投下を含め1488人が犠牲となった。爆撃の中心点にほど近い旧中島浄水場(水道町3)は、水道タンクなど4棟が焼け残った。そのうちの予備発電機室棟の屋根には焼夷(しょうい)弾が直撃し、補修した跡が今も残る。
旧中島浄水場は27年に完成。空襲を乗り越えて93年まで稼働した。建築から間もなく100年を迎える。赤い屋根が象徴の水道タンクと...
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