研究を重ねて制作した模擬原爆の実物大模型の前に立つ星貴さん=長岡市の長岡戦災資料館
研究を重ねて制作した模擬原爆の実物大模型の前に立つ星貴さん=長岡市の長岡戦災資料館

 太平洋戦争で広島や長崎に原子力爆弾を放った米軍の部隊は新潟県にも模擬原爆を投下した。原爆の“訓練”ですら市民の命を奪った史実があった。体験者や遺族らの思いを追った。(3回続きの3)

 全国に49発投下された模擬原爆は戦後、各地の市井の研究者たちが実態を解明していった。長岡市で書店を営む傍ら、長岡空襲を調べていた星栄一さん=故人=、息子の貴さん(65)=長岡戦災資料館アドバイザー=の親子もそうだ。

 栄一さんは集束焼夷(しょうい)弾や焦土となった長岡市街地の模型を作り、全国でも知られた存在だった。ただ、当初は「8月1日の長岡空襲に比べ、7月20日の模擬原爆は忘れられがちだった」(貴さん)。その中で...

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