1937年7月7日に日中戦争が開戦、41年12月8日には太平洋戦争に突入し、日本は戦線拡大によって若者らを次々と戦地へ送った。新潟県出身者が主力となった部隊は過酷な戦場へと駆り出され、軍人・軍属の戦没者は内地を含め約7万3千人に上る。最も犠牲が多かった中国では、新発田の歩兵第116連隊が終戦まで転戦した。開戦当初と終戦時、それぞれで戦線に立った県人兵士2人の手紙や記録を見ると、戦争と向き合う決意や苦悩、家族への思いなど、揺れ動く感情の一端がうかがえる。...

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