
戦時中に導入されていた「隣組」による防空演習。バケツリレーなどを行った=1944年、水上村(現妙高市)=「新潟県民の太平洋戦争」から
戦時下の日本は、戦闘に関わらない一般国民やその生活を総じて「銃後」と呼んだ。兵隊の送り出し、食料や軍用品の生産など、人々の暮らしは後方支援に組み込まれた。子どもたちは労働力とみなされ、学ぶ機会は大きく制限された。戦後80年を迎え、今では聞かれなくなった銃後を、県民の証言からひもとく。(5回続きの1)
「一列談判破裂して 日露戦争始まった さっさと逃げるはロシアの兵 死んでも尽くすは日本の兵…」
田上町の...
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